ドイツベルリン編 1990

昔ドイツは西ドイツと東ドイツと2つの国に分断されていました。 (知っていますよね?)
ベルリンには、第2次世界大戦の敗戦後、アメリカ側とソ連(現ロシア)の2カ国が領土を支配して、その間に壁が築かれていました。
勿論、両国を自由に行き来する事は許されていません。
東側から自由を求めて、壁を越えて西側へ向かおうとして射殺された方も大勢いました。
1989年にその壁が自由を求める東ドイツの人々によって、壊されて壁が無くなったのです。
ニュースでこの風景を見た私は、実際に見に行かないと!! 心が動きました。
すぐにチケットを手配し、友人達は誰も賛同してくれなかったので一人でベルリンへ向かいました。
宿も決めずにロンドン経由でベルリンへ、このときにロンドンからベルリンまでの直行便ということでした。
ルフトハンザ(西ドイツの航空会社です。サービスは良かったです。)でベルリンに到着。
イミグレーションを抜けて、街に繰り出します。『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』(へたくそですが勿論英語です。)
しかし、相手はドイツ人です。英語が通じません。あれ?私のへたくそな英語のせいでしょうか?
イロイロ聞いて回って、やっと英語のしゃべれる若い女性に聞きました。『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』
ドイツ人女性 『Zoo Stationなんて聞いたことがないわ』
私 『えっ ベルリンで一番大きな駅のはずですが、、、』
ドイツ人女性 『えっ ここはハンブルグよ』
そうなんです。直行便だったはずのロンドン→ベルリンは、ハンブルグ経由だったんです。
私はベルリンだと思い込んで、ハンブルグの町を歩き回っていました。
お礼も早々に、空港のカウンターに全速力で走る私。
機内の席に私がいないので航空会社も私を探していたようです。
何とか機長やスチュワーデスさんたちと一緒に専用のバスで機内へ、ギリギリセーフ(冷汗)
日も暮れたベルリン空港へ無事到着。再び『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』
親切なドイツ人青年に教えて貰い、Zoo Stationへ、そこから徒歩でブランデンブルグ門へ
壁の周りでは崩した壁を売っている人達が沢山いましたし、大きなハンマーで壊している人も
ここで少しハンマーを借りて崩すお手伝いをしました。これで僕も壁を崩した歴史の中にいるということです。
勿論大きな壁の欠片は買って帰ることにしました。
ここの検問所はドイツ人jしか行き来できないようで、壁沿いを歩いて外国人用の検問所へ
ここは街灯もなく真っ暗な道で、さすがの私もビビリながら早足で歩くこと30分
やっと検問所に到着、イミグレーションを抜ければそこは東ドイツ(今は無い国)です。
東側の華やかな町並みに比べ、街頭も無く、信号も点灯していなかったです。
大きな交差点には警察官が立って、手信号でした。
お店のウインドウにも商品はほとんど展示されておらず、東側の貧困さがよく判りました。
このまま統一されて、西ドイツは大丈夫なのか? 政治や経済はわかりませんが、肌で感じた感想です。
その後は、想像通り東ドイツを抱えた統合ドイツは数年間苦しむことになりました。(現在も?)
しかし、戦争で引き裂かれた2つの国が、やっと1つに成れたのです。人事ながら感動です。
夢中で歩き回っていましたが、宿も決めていなかったので空港へ戻り野宿する事に。
空港はセキュリティーも巡回しているし、冷暖房も完備されています。
ベット代わりのソファーも寝心地が良いですし、何度も警備の方に起こされましたが意外と快適でした。

この後帰国まで経由する国々の空港のセキュリティーで、バッグの中を開けるように命じられます。
そりゃそうですよね、大人のこぶし3個くらいの大きさの異物がはいっているんですもの。
職員『これは?何?』
私『 ベルリンの壁です』
職員『日本から?』
私『ハイ これを崩すためにベルリンまで』
職員『おーい みんな~ ベルリンの壁だって~』
続々職員達が集まってきます。すげ~ これが壁か~ 
自慢げに質問を受ける私
けど早く通してくれないかな~
こんなことを何度も繰り返して最後は面倒になってきました。

この歴史の現場に立てたことが、私の人生で一番の思い出に残る旅行になりました。