アイルトンセナ編  1998

大のF1好きだった私は、当時ヒーローだったアイルトンセナの大ファンでした。
彼のアグレッシブな走り、影で行っていたボランティア活動、人間性、日本も好きだったみたいですし とにかく大好きでした。
しかし残念ながら、1994年5月、イタリアのサンマリノGPイモラのタンブレロコーナーの壁に激突して死亡致しました。
この状況をテレビで見ていた私は、何が起こったのか?死んだ?誰が?セナ?
よく理解も出来ないまま、翌朝のワイドショーやスポーツ新聞で状況を把握する事になります。
どうしてもここのコーナーに行って、花束を捧げたかったんです。 どうしても、、、、、
実際には98年に妻と2人で行くことになりました、
勿論彼女もセナのことは好きでしたし、あの忌まわしい事故を覚えていて、イタリア行きに賛成してくれました。
ローマ、ミラノの2都市を回るツアーに参加して、ミラノから電車に乗ってイモラへ行こうと計画を立てました。

ミラノで電車のチケットの買い方が判らず、聞いても英語は通じません。販売機の前で困っていたら
浮浪者の老人が買い方を身振りでぶりで教えてくれて、何とか購入。
2時間ほどでイモラへ到着、サーキットまでは駅を降りてまっすぐ歩くだけです。
しかし、途中で右方向へ矢印が、、、、なので右折。しかし歩いても歩いてもサーキットが見つかりません。
何時間も2人で歩き続け森の中で遭難するかと思うくらい、、、、、、人も車も見かけなく
やっと向こうから人間が、英語は通じませんがセナという言葉だけ判ってくれたらしく
着いて来いって感じで、前を歩いてくれました。小一時間歩いたでしょうか、公園のような所へ出て
指を刺してくれて、この先なのかな? その後この叔父さんは元来た道を引き返して行きました。
私達を案内するだけで、1時間も付き合ってくれたのです。
感謝の気持ちもよく伝えられないまま分かれましたが、とても感謝しておりますよ~ グラッツエ
その後、無事タンブレロコーナー内側に到着。
そこにはセナのモニュメントが静かに我々を待っていました。
沢山壁には沢山の落書きが、本当はいけない落書きも今回は許してくれるでしょう。
今でも思い出すと涙が滲んできます。 疲れたけど行って良かったです。
朝から何も食べずに歩き続けた私達は、日も暮れかかる帰りにやっとスーパーマーケットを見つけて
パンも惣菜も無かったので、ポテトチップスをこれでもかってくらい食べました。
あんなにポテトチップスを食べたことが無いし、今後も食べることは無いでしょうね。
イタリアを回って感じたことは、とても優しい国民だな~と思いました。
困っている人を助けたいといつも思っているんだそうです。
ジプシー(引ったくり)も沢山いますが、気をつけていれば楽しい旅行が出来ると思います。
歳を取ってゆっくり回ってみたい国ですね。 是非もう一度行きたい国です。
1997年に結婚して、最初で最後の2人キリの旅でした。
(結婚して最初の旅から、従業員が同行する社員旅行を兼ねていますから)