ポールの世界放浪記


今までに世界中の国々を旅行してきました。面白いエピソードが沢山あるので旅行記を作ることにしました。
ろくに英語もしゃべれないのに、予約も無しで放浪をしてきたちょっと変わった旅行記です。


初めての海外旅行 1983
きっかけは1983年、18歳の時、当時勤めていた会社は旅慣れた方々が沢山在籍。
いわゆるバックパッカーみたいな方々が多く勤めていて、『今度の休みはハワイに行こう』
なんて感じで誘われましたが、私の今までの生活の中で海外旅行という文字は存在しませんでした。
ましてやハワイ? 聞いた事はありますが、実際に行って見たいとも思ったことはありませんでした。
せっかくなので一緒に連れて行ってもらうことに、、、、、
しかし、お金はありません!!自慢じゃないが貯金は0円 ローンを組んで参加する事にしました。
今は、3ヶ月以内のアメリカ旅行にはビザは必要ありませんが、当時はビザを取得しなくてはいけませんでした。
申請に何と貯金通帳を提示しないとダメだったんです。(マジですよ)
つまりお金のない奴らをアメリカに入れて、そのまま不法労働者になられると困るので、金のないヤツにはビザを出さないってことです。
仕方なく上司に借金をして、通帳に入金。ビザが取れてすぐに下ろして返しましたが、今は楽ですね〜
一番年下だった私は、運転手を任されて、それがハワイをよく知るきっかけにもなりました。
免許も取り立ての18歳の若者によく任せてくれたものです。
初めての海外旅行、ハワイ、旅なれた先輩に連れられて行ったレアな穴場スポット、舞い上がってしまった18歳の私。
想像できますよね? その通りすっかりハマッテしまいました。
この経験が後の私の人生を大きく左右する旅行になったのです。
それを僕の従業員にも経験させて味わって貰いたいと思い、会社設立後は従業員も連れての旅になるのです。

初めての海外旅行で舞い上がっています。
18歳の僕、、、、
サンセットビーチ ワイキキを離れると、
誰も居ない綺麗なビーチは幾つもあるんです。



サイパン 1984
その2ヵ月後に、仕事での営業成績が良かったので、ご褒美旅行に参加できサイパンに行きましたが
初めてのハワイでの興奮も冷めていなかったので、残念ながらサイパンは全く面白く無かったです。
遊ぶ所も無く、海はナマコだらけ、湿気の多い蒸し暑い気候、どれもダメでした。
(今のサイパンは結構面白いらしいです)

当時のサイパンにはナマコが一杯いて
こんな所の写真ばかりしかありませんでした。
戦争の傷跡、こんな遺跡は要らないです。

すっかりハワイに魅せられた私は、その後格安ツアーを探しながら、何回も通うことになります。
結局20年で20回以上、ハワイに上陸する事になります。
通うたびに思うのが、ツアー会社の対応の悪さ、なのでチケットと宿だけでフリーのツアーに申し込むことになりました。
最終的に、ツアーよりも安く手配できることを知り個人手配になったのですが、
現在の仕事にも生かされていると思います。


私の性格は、思い立ったらすぐに行動する事。
居ても立っても居られない!!  そんな性格がよくわかる旅行のエピソードです

ドイツベルリン編 1990
昔ドイツは西ドイツと東ドイツと2つの国に分断されていました。 (知っていますよね?)
ベルリンには、第2次世界大戦の敗戦後、アメリカ側とソ連(現ロシア)の2カ国が領土を支配して、その間に壁が築かれていました。
勿論、両国を自由に行き来する事は許されていません。
東側から自由を求めて、壁を越えて西側へ向かおうとして射殺された方も大勢いました。
1989年にその壁が自由を求める東ドイツの人々によって、壊されて壁が無くなったのです。
ニュースでこの風景を見た私は、実際に見に行かないと!! 心が動きました。
すぐにチケットを手配し、友人達は誰も賛同してくれなかったので一人でベルリンへ向かいました。
宿も決めずにロンドン経由でベルリンへ、このときにロンドンからベルリンまでの直行便ということでした。
ルフトハンザ(西ドイツの航空会社です。サービスは良かったです。)でベルリンに到着。
イミグレーションを抜けて、街に繰り出します。『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』(へたくそですが勿論英語です。)
しかし、相手はドイツ人です。英語が通じません。あれ?私のへたくそな英語のせいでしょうか?
イロイロ聞いて回って、やっと英語のしゃべれる若い女性に聞きました。『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』
ドイツ人女性 『Zoo Stationなんて聞いたことがないわ』
私 『えっ ベルリンで一番大きな駅のはずですが、、、』
ドイツ人女性 『えっ ここはハンブルグよ』
そうなんです。直行便だったはずのロンドン→ベルリンは、ハンブルグ経由だったんです。
私はベルリンだと思い込んで、ハンブルグの町を歩き回っていました。
お礼も早々に、空港のカウンターに全速力で走る私。
機内の席に私がいないので航空会社も私を探していたようです。
何とか機長やスチュワーデスさんたちと一緒に専用のバスで機内へ、ギリギリセーフ(冷汗)
日も暮れたベルリン空港へ無事到着。再び『Zoo Stationへはどう行けば良いですか?』
親切なドイツ人青年に教えて貰い、Zoo Stationへ、そこから徒歩でブランデンブルグ門へ
壁の周りでは崩した壁を売っている人達が沢山いましたし、大きなハンマーで壊している人も
ここで少しハンマーを借りて崩すお手伝いをしました。これで僕も壁を崩した歴史の中にいるということです。
勿論大きな壁の欠片は買って帰ることにしました。
ここの検問所はドイツ人jしか行き来できないようで、壁沿いを歩いて外国人用の検問所へ
ここは街灯もなく真っ暗な道で、さすがの私もビビリながら早足で歩くこと30分
やっと検問所に到着、イミグレーションを抜ければそこは東ドイツ(今は無い国)です。
東側の華やかな町並みに比べ、街頭も無く、信号も点灯していなかったです。
大きな交差点には警察官が立って、手信号でした。
お店のウインドウにも商品はほとんど展示されておらず、東側の貧困さがよく判りました。
このまま統一されて、西ドイツは大丈夫なのか? 政治や経済はわかりませんが、肌で感じた感想です。
その後は、想像通り東ドイツを抱えた統合ドイツは数年間苦しむことになりました。(現在も?)
しかし、戦争で引き裂かれた2つの国が、やっと1つに成れたのです。人事ながら感動です。
夢中で歩き回っていましたが、宿も決めていなかったので空港へ戻り野宿する事に。
空港はセキュリティーも巡回しているし、冷暖房も完備されています。
ベット代わりのソファーも寝心地が良いですし、何度も警備の方に起こされましたが意外と快適でした。

今は無きベルリンの壁 帰国後、友人宅で
友人の持っているのが持ち帰った壁です。
今でも大切に保管しています。
白いのが東側の壁で、非常に珍しいです。


この後帰国まで経由する国々の空港のセキュリティーで、バッグの中を開けるように命じられます。
そりゃそうですよね、大人のこぶし3個くらいの大きさの異物がはいっているんですもの。
職員『これは?何?』
私『 ベルリンの壁です』
職員『日本から?』
私『ハイ これを崩すためにベルリンまで』
職員『おーい みんな〜 ベルリンの壁だって〜』
続々職員達が集まってきます。すげ〜 これが壁か〜 
自慢げに質問を受ける私
けど早く通してくれないかな〜
こんなことを何度も繰り返して最後は面倒になってきました。

この歴史の現場に立てたことが、私の人生で一番の思い出に残る旅行になりました。



ルーブル美術館編  1990
ベルリンの帰り道、せっかくだからパリに行こう!!
ルーブル美術館がリニューアルされ、本物のモナリザもみたかったし、その出来栄えに賛否両論があり見てみたかったし
また、この当時DCカードのCMで中井喜一さんが、エッフェル塔の前の広場で、エッフェル塔の模型を持って写真を撮る
この風景に魅せられて、実際に同じ格好をして写真を撮りにいきました。
このエッフェル塔も出来た当時は、評判が良くなかったようですが、すっかりパリの顔になっていますね。
歴史に残る迷言、貧困な庶民がパンも食べることが出来ないと聞いたマリーアントワネットの発言
『パンが無いのならお菓子を食べれば良いのに』 これを聞いた庶民が暴動に発展してフランス革命の発端となった。
そんな歴史の1ページのベルサイユ宮殿も見ておかなければ。
パリまではエールフランス(フランスの航空会社、サービスは最高でした。食事の時のワインも美味しかったな〜)
町並みもとてもおしゃれで、ファッションの街って感じがいたるところで感じられます。
東京のゴチャゴチャした町並みとは比べ物にならないです。

シャンデリゼ通り、凱旋門。 新しくなったばかりの
ルーブル美術館のエントランス。
夕日に霞むエッフェル塔。
下に僕がいるのが見えますか?


一人旅は少し寂しいですが、自由に行動が変更できるので楽ですね。
パリの宿は格安の物を何とか確保しましたが、ドアと壁の隙間が指1本以上開いていて、廊下を通る人がどんな人か判別できるくらいでした。
男の1人旅なので気にせず寝ちゃいましたが、お勧めできる方法ではないですね。



ビートルズ編 1990
私は小学校5年生の時に、偶然ラジオで聞いたビートルズに感銘を受け、それ以来大のビートルズファンです。
ファンなら誰もがロンドンやリバプールに行きたいと思うことでしょう。
アビーロードスタジオ、ここの前の道を素足で目をつぶり歩きたかったんです。
(ファンなら判るとおもいますが、アルバム『アビーロード』のジャケット写真のポールマッカートニーが
横断歩道を目をつぶって、素足で歩いている写真を使っていて、ポールの死亡説が大きく騒がれました。)
友人がロンドンに移住したことをきっかけに、ビートルズ観光のため渡英。
友人を誘って2人で向かうはずでしたが、出発当日の朝ロンドンの友人から国際電話が掛かってきました。
今ママがロンドンに遊びに来ていて、観光でパリに行くから3日間どこかで過ごしてくれとの事、
う〜ん、宿は何とかなるだろう。『OK。何とかする』 更に別の友人も一緒の便でロンドンへ向かっているはずなので
彼に連絡がつかないので、そのことを伝えて欲しいとの事、名前は『ケンちゃん』
会ったこともない『ケンちゃん』を探すために、僕と友人は成田と経由地で一人でいる若い(恐らく)男性に声をかけ続けることに
『ケンちゃんですか?』  『違います!!』 『ケンちゃんですか?』 『違います?』 ちゃんとフルネームを聞いておけば良かった、、、、
結局判らないままロンドンのヒースローまでの空路、友人との会話を聞いていた隣の席の紳士が
紳士『宿決めていないの?』
私『ハイ、なんとかなると思って』
紳士『到着は夜の9時くらいだよ』
私『最悪は野宿でも、、、、』
紳士『私の取っているホテルに聞いてあげるよ』
これで、今夜の宿は何とかなりそうだ。 ラッキー
この後この紳士とは、お互い車好き(当時彼はポルシェ、僕はアルファロメオ)ということもあり、とても仲良くなりました。
何でも原宿でアンティークショップを経営している方で、仕入れのために年に何回もロンドンを行き来しているらしい。
帰国後もお店に遊びに行ったり、一緒にツーリングに行ったり、何年も仲良くさせていただきましたが
数年後、ベルギーの女性と結婚してベルギーに移住してしまい、
向こうからベルギーグランプリの時はウチに泊まれば?とお誘いも受けましたが
郵便も届かなくなり、それっきりになってしまいました。
話がそれましたね。
ヒースロー空港で、やっと『ケンちゃん』を見つけて4人でタクシーを拾いホテルへ向かおうとしたその時『あっ僕のバックじゃない』
ケンちゃんは他人のバッグを持ってきてしまったようです。
取りに向かった彼を待って数十分、少し紳士がイライラしてきたように見えました。
すかさず僕は『もう3人で行きましょうよ。』始めて会った彼よりも、今夜からの宿の方が大事です。
しかし、さすが紳士、『せっかく会えたんだからもう少し待ってあげようよ。』大人の対応です。
小一時間、『ケンちゃん』が自分のバッグを見つけて帰ってきました。やっとホテルです。もう12時を回っています。
想像より良いロンドン中心部のホテルで快適な朝を迎えることが出来ました。
この後3日間、初めて会った『ケンちゃん』と3人でロンドン観光をする事に、、、、それはそれで結構楽しかったですが、
友人が『なんか頭が痛い』、『時差ぼけじゃない?』 次の日も朝は頭が痛かったようです。
原因が3日目の朝に判りました。彼の寝ていたベッドの横にガスの配管が通っていて、そこからガス漏れが起きていたようで
軽いガス中毒になっていた様です。 『死ななくて良かったね』 『しゃれにならないよ〜』
3日後、ロンドン在住の友人と再会、その後10日ほど世話になってロンドン中を満喫しましたが、やはり珍道中になってしまいましたね。

EMIスタジオ。 アビーロードを裸足で歩く私。 リバプール、ペニーレイン。 大英博物館のロゼッタストーン。



エアーズロック編 1995
オーストラリアの中心にあるエアーズロック、世界最大の一枚岩ということはご存知でしょう。
そのエアーズロックは、先住民族のアボリジニの神様です。
その神様を観光客が踏みつける行為をやめて、アボリジニに返還され登頂できなくなると聞き
これは今のうちに登って置かなければと思い立ち、初めての南半球へ
一番安いケアンズまで格安ツアーで、現地で格安ツケットを購入し宿も無いまま下着だけ持ってアリススプリングスへ
(エアーズロック空港が一番近いのですが、高い、便が無いので仕方なくアリススプリングスへのチケットを購入)
地図で見ると近いのに、実際には1000km以上レンタカーで走ることになります。
迷子にはなりません、その間は信号が1個しかありません、最初の信号を右に曲がれば着くよって言われました。
しかし、ガソリンだけは入っていてもスタンドを見つけたら入れるように注意されました。
砂漠の真ん中でガス欠、これはやばいです。
登頂は結構きついですよ。心臓発作や落下で死亡する方も沢山居るみたいです。
ちなみに、今でも登頂は出来ます。なんだったんでしょうか?あの噂は?
しかし、それがきっかけで南半球、エアーズロックに来られたのですから良しとしましょう。
登頂よりも思い出に残るのは、周りに明かりが全く無い砂漠の真ん中で見た星空です。
今までの人生で一番の物で、流れ星は限りなく流れ、青雲なども幾つもハッキリ見えました。
お風呂の水が、北半球と逆に渦を巻くのも感動ですね。
ちなみにエアーズロック滞在中は初日は宿が見つかりましたが、2日目は車で野宿でした。

アリススプリングスから1000kmのドライブ
迷子にはなりません
何故なら、1回しか曲がりません。
後は砂漠をひたすら走るのみ。
来た〜 登頂は想像以上に大変です。
年間数名死亡者も出ているそうです。
南半球は日本など北半球と
渦の巻き方が逆になります。
これも見ておきたかった。



アイルトンセナ編  1998
大のF1好きだった私は、当時ヒーローだったアイルトンセナの大ファンでした。
彼のアグレッシブな走り、影で行っていたボランティア活動、人間性、日本も好きだったみたいですし とにかく大好きでした。
しかし残念ながら、1994年5月、イタリアのサンマリノGPイモラのタンブレロコーナーの壁に激突して死亡致しました。
この状況をテレビで見ていた私は、何が起こったのか?死んだ?誰が?セナ?
よく理解も出来ないまま、翌朝のワイドショーやスポーツ新聞で状況を把握する事になります。
どうしてもここのコーナーに行って、花束を捧げたかったんです。 どうしても、、、、、
実際には98年に妻と2人で行くことになりました、
勿論彼女もセナのことは好きでしたし、あの忌まわしい事故を覚えていて、イタリア行きに賛成してくれました。
ローマ、ミラノの2都市を回るツアーに参加して、ミラノから電車に乗ってイモラへ行こうと計画を立てました。

コロッセオ 
ツアーだと時間制限がありますが
内部もくまなく見て回りました。
街中に遺跡群があります。 観光名所は全て網羅。 ミラノも楽しみました。

ミラノで電車のチケットの買い方が判らず、聞いても英語は通じません。販売機の前で困っていたら
浮浪者の老人が買い方を身振りでぶりで教えてくれて、何とか購入。
2時間ほどでイモラへ到着、サーキットまでは駅を降りてまっすぐ歩くだけです。
しかし、途中で右方向へ矢印が、、、、なので右折。しかし歩いても歩いてもサーキットが見つかりません。
何時間も2人で歩き続け森の中で遭難するかと思うくらい、、、、、、人も車も見かけなく
やっと向こうから人間が、英語は通じませんがセナという言葉だけ判ってくれたらしく
着いて来いって感じで、前を歩いてくれました。小一時間歩いたでしょうか、公園のような所へ出て
指を刺してくれて、この先なのかな? その後この叔父さんは元来た道を引き返して行きました。
私達を案内するだけで、1時間も付き合ってくれたのです。
感謝の気持ちもよく伝えられないまま分かれましたが、とても感謝しておりますよ〜 グラッツエ
その後、無事タンブレロコーナー内側に到着。
そこにはセナのモニュメントが静かに我々を待っていました。
沢山壁には沢山の落書きが、本当はいけない落書きも今回は許してくれるでしょう。
今でも思い出すと涙が滲んできます。 疲れたけど行って良かったです。
朝から何も食べずに歩き続けた私達は、日も暮れかかる帰りにやっとスーパーマーケットを見つけて
パンも惣菜も無かったので、ポテトチップスをこれでもかってくらい食べました。
あんなにポテトチップスを食べたことが無いし、今後も食べることは無いでしょうね。
イタリアを回って感じたことは、とても優しい国民だな〜と思いました。
困っている人を助けたいといつも思っているんだそうです。
ジプシー(引ったくり)も沢山いますが、気をつけていれば楽しい旅行が出来ると思います。
歳を取ってゆっくり回ってみたい国ですね。 是非もう一度行きたい国です。
1997年に結婚して、最初で最後の2人キリの旅でした。
(結婚して最初の旅から、従業員が同行する社員旅行を兼ねていますから)

セナの逝った、魔のタンブレロコーナー。 そのコーナーを見るように
寂しげなセナのモニュメントがあります。
切ないです、、、、、



野茂英雄編  1995

スポーツ観戦は野球、サッカー、相撲、マラソン何でも見る、スポーツオタクの私
特に野球は小さい頃やっていましたので、一番思い入れがあります。
長嶋茂雄の現役を見ていた最後の世代でしょうね。 幸せな時代に生まれたと思っています。
1995年 日本球界から逃げるようにメジャーリーグへ、誰もが失敗に終わり帰ってくるものと思っていたはずです。
私も近鉄とのいざこざの末にメジャーリーグ? 無理だろうと思っていました。
ところが、開幕から大活躍、早朝からの中継は夢中で見ていました。
これは日本人として応援に行かなければならないとおもいすぐにLAへ
ハワイは何度も行っていましたが、アメリカ本土は初めてです。
LAは街中がMONOフィーバーでした。 あちらこちらでMONOの写真が飾られて
同じの日本人の私達を見つけては、MONO〜と声をかけてきます。
今回観戦したMONOの登板試合は見事勝ち投手になり余計に面白かったですね。
興奮した私は、翌年も再度観戦、その時も勝ち投手になりました。

その後W松井を見る為にニューヨークへ行きましたが、野手の試合はいつも出ているから楽ですね。
投手を見に行くのは登板日にあわせて予定を組まなければいけないので大変です。

1回目 2回目


ついでといってはなんですが、映画も好きな私、HOOLY WOODに行かなければ!!
一番行きたかったのはチャイニーズシアターでもビバリーヒルズのスターの豪邸でもなかったんです。
大好きだった映画『スティング』のポールニューマンが働いていたメリーゴーラウンドの実物があるんです。
それはサンタモニカのピアにありました。 しびれましたね〜

このメリーゴーラウンドに一番感動しました。



2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ編  2003
世界中の誰もが震撼した、最悪のテロ事件。2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ
友人であるK氏が、テレビの仕事でニューヨークに在住していた。
まず頭に浮かんだのは彼のことでした。
すぐにメールをしたら、すぐに返信があり、生きていることが確認取れましたが、
なんと彼はテレビクルーとして、第1報から現場で取材をしていたのです。
あと少し遅ければビルの崩壊に巻き込まれていたというギリギリの所で働いていたのです。
海の向こうの作られた映像ではありません。実際に起こった大事件です。これは忘れてはいけない出来事です。
この崩壊したワールドトレードセンターが整地されて新しいビルが建つというニュースを聞き
どうしてもこの目に焼き付けておきたかったのです。
グランドゼロのがれきの中の十字架のように残った鉄骨は今でも心の中にハッキリ残っています。
考えの違う者同士がぶつかり合うこのようなテロ、戦争はなくなって欲しいものです。
ハワイよりコストのかかる社員旅行でしたが、従業員たちにもこのことを感じて欲しかったんです。

ガレキの十字架。 亡くなった方々の名前が刻まれています。 ここに再び高層ビルが建つそうですが、、、、


W松井ニューヨーク、サブウェーシリーズ  2003
グランドゼロが一番の目的でしたが、どうせニューヨークに行くならこれに合わせない手は無いでしょう。
ってことで松井 秀樹 VS 松井 稼頭央 のヤンキース VS メッツのサブウェーシリーズに合わせて予定を組みました。
野球好きにはたまらないヤンキースタジアム、歴史を感じます。2年後には隣に新球場が完成予定です。
歴史あるヤンキースタジアムを見ることが出来てよかったですね。
外野席とネット裏2回も見に行ちゃいました。
う〜 今年の松坂はどうしても見たい!!

ゴジラの被り物を事前にヤフオクでゲット。
日本のTVでも紹介されていたそうです。
次の日には内野席にゴジラ現る。 松井(秀)の14号ホームラン。 ゴジラ、コーラを飲む。


IPS(当社が部品を輸入しているアメリカ、アイダホ州の会社)訪問  2003
グランドゼロ、ニューヨーク、サブウェーシリーズ、せっかくアメリカ本土に行くのだったら彼らに合わなければ!!
数年来部品の輸入でお世話になっているIPS、社長はRick、奥さんはTrish、お互いの家族の写真などもやり取りしあう仲良しです。
はるばる日本から遭いに来るとあって向こうは興奮気味です。
観光スポットなどほとんどないド田舎アイダホ州、懸命に接待してくれました。
渓流でラフティング、州都ボイシー、州議会議事堂は警備も無くすんなり中を見学できます。のんびりした田舎町を堪能
中でも彼らの家で2日にわたってBBQでご馳走になったことは素晴らしい思い出です。
来年は、横浜とアイダホの中心であるハワイで待ち合わせしようと約束して涙ながらに別れました。

Rickの自宅でBBQをご馳走になりました。 ホストは忙しいです。 プレゼントした浴衣を着て。
IPS IPSの倉庫。 アイダホは本当の田舎で、特に観光名所も無く
彼はラフティングに案内してくれました。


Rick&Trishとの再会編  2004
約束どおり、次の年の1月ハワイでの再会です。
彼らはハワイは初めて訪れました。 ここはハワイマイスターの私が案内しないと!!
通常本土の住んでいるアメリカ人は、海外旅行はしないそうです。
パスポートも持っていない人がほとんどで、リゾートは国内に良い所が沢山ありますから必要ないようです。
普段彼らも、2時間以内で行かれるアリゾナで休暇を楽しんでいる様です。
わざわざ乗り換えて8時間以上も飛行機に乗ってハワイにくる必要が無いのです。
実はTrishが飛行機嫌いで、今回の旅行も体調を崩してしまい、恐らくハワイに来る事は無いでしょうね。

ハワイでの再会。 家族ぐるみでのお付き合いです。 友人も交えて夕食。 この日はRickの誕生日!!




エジプト編 2009  旅の詳細は僕のブログで http://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/52831443.html 
毎年ハワイばかり通っている私、勿論妻も妻の両親も連れての家族旅行で、みんなハワイにハマッています。
特に妻の両親はマウイに完全にやられています。
ワイキキの騒々しさと比べて、静かでのんびり出来る本当のリゾートがそこにはあるからでしょう。
妻は良く冗談交じりに言います。『自分の好きなところばかり行って私の行きたい所には連れて行ってくれない』
何!!?ハワイは嫌いなのか?そんなことはないはずですが、これは男を上げる為に奮発しておかないと、、、、と
突然『今度の夏の旅行はエジプトに行く!!』と勝手に決めてツアーを探し始めました。
今までは団体行動が苦手な僕は、ツアーという物には参加したことがなく、ツアーと言っても宿と飛行機だけの行動はフリーという物はしかありませんでした。
さすがにイスラム圏、アラビア語、貧困国、治安の悪さ、、、、、色んなことを想像して、ガイド付きのツアーに申し込みをしました。
申し込み後、妻の体調が思わしくなく一度キャンセルしましたが、体調も良くなり出発予定の2週間前に再度申し込みをしてみましたら、
『既に予定人数24名に達したので一杯です。』とのこと、しかし、HISさんの対応は素晴らしく、『何とかして見ましょうか?』『是非お願いします』
次の日には全て手配が完了して、無事にツアーに参加できました。
妻はかなり興奮気味です。 なにせ小学生の頃に読んでいた『王家の紋章』というマンガにハマって、未だに何百回と繰り返し読んでいます。
エジプトの特集もTVで頻繁にやっていますが、必ず予約録画で繰り返し見ています。
歴史のことや遺跡などかなり詳しいです。 僕はピラミッド、スフィンクス、アブシンベル神殿、王家の谷くらいしか知りませんし、その他は興味なし。
波乗りも出来ないし、英語も通じない異国へ行く若い頃のような元気もありません。

このツアーを選んだ理由が、ガイド付き(遺跡を見ても訳がわからないから説明があると良いと思った)、
食事つき(夕食3回を除き朝昼全日程で付いていました)、
直行便(飛行機が嫌いな僕は、乗り換えて時間が掛かる日程は避けた)、
何と言っても安かった(この条件で17万円台)

申し込んだ時の日程では、成田→カイロは直行で12時間と書かれていましたが、飛行機に乗り込んでアナウンスで初めて知りました。
14時間掛かります。しかも強い偏西風のせいで少し遅れるかも、、、飛行機嫌いの僕にとってエコノミー14時間はとても苦痛な時間です。
ヨーロッパでも12時間なので、行く前から大変な旅になる予感タップリです。

更にこの日程は、新型インフルエンザが大流行を始めたH21年の5月10日発。大流行が始まったばかりで大騒ぎしていた頃です。
幸い、エジプトでは感染者0人、それほど心配はしていませんでしたが、行きの便で感染してしまったらこの旅はアウトです。
飛行機ではマスクをしていました。

14時間余りのロングフライト、深夜の到着で、カイロの街明かりが美しく輝いています。妻は既に涙ぐんでいました。
その中に『あっ あれピラミッドじゃない?』ライトアップされたピラミッドが闇夜に浮かび上がっていました。
予想していなかったまさかの出迎えに妻は震えながら感動しています。
この旅は彼女の為の奉仕の旅です。この姿を見ただけで、連れて来てよかったと実感しました。 

世界3大ガッカリなんてことも聞きましたが、
この大きさ、実物はとっても感動しました。
3つあるピラミッドですが、個人的には第2ピラミッドが気に入っています。
上の部分に、崩れる前の平らな斜面が残っています。
ツアーの集合写真。
まさかこんな写真を撮る事になるとは、、、、
スフィンクスの頭をなでなでしたり こちょこちょしてみたり 一緒にスフってみたり

カイロ博物館は凄いです。大きすぎて疲れました。これは全て見るには何日もかかるでしょう。
この夜にはカイロからアスワンに寝台列車で移動。
同じ宿には連泊しない毎日移動の大変な日程ですが、遺跡を全て網羅したこのツアー、諦めるしかないです。

夜8時にカイロを出て、次の朝の8時にアスワンに到着予定でしたが、結局4時間以上も送れて付いたのはお昼の12時でした。
寝台列車だったので16時間の旅も飛行機よりはストレスが無かったですが、エジプト時間に早くも洗礼を受けてしまいました。

アスワンに着いてからも一悶着あり、砂漠の中をバスで3時間、やっとアブシンベルに着いたのは夕方5時を回っていました。
ココで昼食(ツアーの決まったスケジュールの中で臨機応変には進めてくれない)、しかも夕食は2時間後の7時です。
ガイドさんが朝食のブッフェでパンとか甘い物を余分に持っていた方が良いと教えてくれました。これは後々役に立つことになります。

この遺跡はとっても感動しました。
外観も凄いけど、内部の神殿はもっと凄いです。
このツアーの目玉でもある神殿のライトアップしたショー
幻想的でとても良かったです。

夜のライトアップしたショーを見た後、アブシンベルに1泊して朝日に当たる神殿を見ました。
2月22日に朝日が神殿の奥の3体の像に日が差し込むのは有名で、この20分間の為に何年も先まで宿の予約は詰まっているようです。

ツアーはこのあとバスでアスワンに戻り遺跡群を見学して、翌日もバスでルクソールへと移動して、遺跡を見て回ります。

ナイル川沿いのホテルに泊まった時
ナイルを見ながら一杯やっているところ

移動移動でとても疲れていて、ルクソール2日目の王家の谷を過ぎた頃には、やっと終わったと達成感に包まれていました。

王家の谷では今でも発掘が続けられています。
今年新たな墓の発見もあったそうです。
ツタンカーメンのお墓
ミイラも博物館ではなく、ココに展示されています。

ルクソールからカイロまでは飛行機を使い、到着日の深夜にチェックインしたホテルに戻り(寝て起きただけでほとんど印象が無い)
最終日はフリーだったので、ふたりでタクシーを使ってもう一度ピラミッドをゆっくり回りました。
ツアーだと時間で動くのでじっくり見れなかった為、これは来て良かったです。

エジプトに来て思ったのは、来る前のイメージと大きく違い、人々はとても優しく親切で、食事は美味しいし、英語も通じる。
飛行距離が短ければ、もう一度ゆっくり回っても良いかな〜と思いました。

とても疲れた旅でしたが、妻を連れてくることが出来て本当に良かったです。





オーストラリア編2 2010  旅の詳細は僕のブログで http://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/61435252.html
定番マウイは家族全員大のお気に入りだが、少し変わったところに連れて行こうと思い、今回はオーストラリアに決定。
まずはサーフィンが出来ることが最優先にさせてもらってゴールコーストに半分、後半はみんなに見せておきたかったエアーズロックに決定。
昔、オーストラリアに行ったことがある僕もゴールドコーストは初めてなのでちょっと興奮していました。
宿探しからいろんな情報を集めて、選んだのは『ペニンシュラ』 オーシャンフロントで眺めは良かったが、ハワイに比べるとどうしてもリゾート感が薄い。
ゴールドコーストのビーチにはヤシの木などはなく松、、、、メインストリートも人影まばらで寂しい感じさえする。

とても広いリビングから見えるゴールドコーストの海 波を求めてやっと入ることが出来た。 ヴァーレイヘッズ、遠くにゴールコースとの街並みが見える。

部屋は広くて綺麗、しかし肝心の波がありません。
ゴールドコースト中を波を求めて探しまわりましたが、結局最終日にヴァーレイヘッズで少し楽しんだだけでした。
ゴールドコーストは面白くないので、グリーンマウンテンやバイロンベイまで車を走らせて観光してきました。

グリーンマウンテンに向かう途中で野生のカンガルー発見 高い木の上につり橋を掛けて、野鳥などを観察できるようになっています。 バイロンベイ燈台。ここは良かった〜

前回のオーストラリア旅行で食事が美味しくない印象を持っていたので、今回は全て自炊。

ハワイでも自炊なので慣れたもんです。 オージービーフ。自分で焼いて日本から持ってきたタレで食す。

いよいよゴールドコーストを離れ、エアーズロックへ向かう。
簡単に国内移動といっても飛行機には6時間以上も乗らなければならない。
まずはゴールドコーストの玄関口『ブリスベン空港』まで1時間のドライブ。
ブリスベン空港からエアーズロック空港へは直行便が無いために、シドニー空港へ1時間半のフライト。
1時間ほど待ち、エアーズロック空港へ5時間のフライト。
僕たちは何とか耐えられると思っていたが、両親を心配していた。 ところが僕たち以上に元気だ。
写真を撮ったり、空港内を見て回ったりと安心した。

15年前と変わらない姿。 やはり感動的だ。 急な登り坂。キツイ。 思い出した。あの時二度と登らないと思ったのに、、 頂上のプレートで記念撮影。
マウントオルガまで足を伸ばしてみた。 風の通り抜ける谷。 まだら模様の岩が神秘的だ。 野生のラクダを目の前で見た。 デカイ。

15年前と変わらない姿。 残念なことに少し天気が悪くて朝日や夕日に照らされて真っ赤になるエアーズロックを見せたかったのだがイマイチだった。
そして一番見せたかった星空。 これは砂漠のど真ん中のここでしか見られない素晴らしい満天の星空。新月を計算して旅行を計画した。
しかし、残念ながら3日間の滞在中はずっと小雨や曇りで夜空を輝く星たちは、雲の切れ間から少しだけ見れただけだった。

僕は2回目のオーストラリアだったので感動も半分だったが、家族の反応はとてもよく、連れてきてよかった。
満天の星空は見逃してしまったが、もう一度来るには遠すぎる。オーストラリアは今回で最後か?









ヨーロッパ編 2011年〜2012年。旅の詳細は僕のブログで http://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/65948566.html
いつもの年末年始はハワイ(定番)だったが、この年末年始はチケットが取れずどうしよう?
西海岸?バリ?人気のリゾートはどこも取れず、、、、、冬のヨーロッパなら取れるけどどうする?って話をしていたら、妻のスキー熱が急に目覚めた。
スイスでスキーがしたい!! 妻は結婚前は一人でもスキーに行くほど大好きで、腕前も上級者レベルだったが、僕がスキーをやらないので、結婚後はフェードアウト。
いつしかスキーの話をしなくなっていたが、今回の事でどうしても行きたい!!となってしまった。
取れるチケットはロンドンかパリ。どっちでも良いが僕のパリの印象が良くなかったのでロンドン便をゲット。(この時点で出発日1週間前)
ロンドンには興味が無かった二人、ここに3日滞在して、僕がヨーロッパで行った事のないバルセロナを希望。そして妻の希望のスイスへとエアーとホテルを押さえ予約完了。
今回は長距離移動でハードな旅になるので両親は同行せず久しぶりの夫婦二人旅。

   
 観光地をぐるぐる廻り  大英博物館はちょっとガッカリ

ロンドンは観光ガイドを忘れてきて、ネットで調べながら観光地を巡った。僕は2回目なので特に感動無し。逆にロンドンオリンピック前で観光客が多く、
どこも混雑して渋滞、行列、人ごみ嫌いな僕にはちょっと、、、、、、妻が楽しみにしていた大英博物館のエジプトの展示物も数年前に本物を見たからテンションダウン。
滞在期間を程なくこなして、早々にスペインへ

   
 やはりここは感動しました  旅先での出会い

寒い寒いロンドンを出て、スペインは快晴で暖かい。綺麗な青空にテンションも上がります。
まずはサクラダファミリア。これは言うまでも有りません。何時間見ていても飽きません。朝、晝、夜のライトアップ全て最高でした。
完成まであと数十年?数百年? その他ガウディーの建造物を見て廻り、ピカソ美術館も堪能。
ここでの滞在はたった2日。全て見て回れなかったのでまた戻って来たい場所です。町中が素晴らしかった〜
そして2011年のカウントダウン。偶然同じ宿に泊まった人たちとカウントダウンパーティーを開き大騒ぎ!!
ここの面子とも未だにフェイスブックで繋がっているという面白さ。そして年が明けて2012年1月1日早朝に出発。

       
 晴天で暖かいバルセロナから一転  宿のバルコニーからは絶景が  ゴンドラで3883mまで上がれます  ここがヨーロッパの最高峰展望台
       
 案内に沿ってイタリアに向います  ここが国境 4カ国目イタリアへ  妻のテンションは上がりっぱなし  僕は疲れ果てています

暖かいバルセロナからチューリッヒ空港へ。一転雪国です。ここからスイスの鉄道の旅。乗り換えをしながらチェルマットまで。
車窓からの景色はすばらしく、電車嫌いな僕でも楽しめました。夕方やっとホテルにチェックイン。部屋に入りカーテンを開けるとそこに、、、、、マッターホルンが!!
ふたりして感動で震えました。寒かったのもあるけど、、、、 この日は夕方だったので町を散策。街並みも良いです。
2日目は朝からスキーをレンタルして、一気に3883mまでゴンドラで上がります。ここはヨーロッパで一番高い所だそうです。妻は軽い高山病で小休止。
僕は絶景で写真やビデオを撮りまくり!! 妻の体調の回復を待っていざイタリアまで滑降です。
妻は十数年ぶりでもガンガン滑りまくっていますが、僕は波乗りはスキルが有ったので舐めてかかったたらスノーボードが全く乗れません。何回転んだのか数えられないほど。
クタクタになりながら、やっとの思いで国境を越えてイタリアへ。イミグレーションは無く、勿論パスポートも要りません。 今回の旅の4カ国目はとても良い思い出になりました。
僕は次に日から筋肉痛と打撲による痛みで動けず、妻は一人で滑りに行きました。とりあえず妻が楽しめて良かったです。
帰国後、二人して疲れからか風邪をひいてしまい、辛い仕事はじめになりました。






一人マウイ編  2012年  旅の様子は僕のブログで  http://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/66653010.html
2012年 ヨーロッパの旅の余韻も残る中、2月に妻の妊娠が判明。やはりスイスでのスキーが良かったのか?
妊娠中は飛行機も乗れないだろうと、初夏の旅行はキャンセル。仕方ないね。
でも、僕だけでも行きたいと懇願をして、一人でマウイに行ってしまいました。  バカですね〜

       
 この夕日を見たら又来たくなる  ラハイナのパイオニアイン 絵になるロングボード  こんな小さなサーファーも
       
 ヒロさんと居酒屋へ行ったり  マウイの女子会に乱入  ヒロさんにBBQをごちそうになり  最後の晩餐は寿司
       
 セルフタイマーでジャグジーの写真  御土産    

滞在はいつもマウイでお世話になっているヒロさん&カナさんご夫妻の自宅敷地内のコテージ。ここなら一人でも寂しくない。
滞在中はヒロさんと居酒屋へ行ったり、マウイの強面の女子会に乱入したり、ヒロさんにBBQをご馳走になったり、そして最後の晩餐は寿司で〆た。
一人はやはり寂しかったが、リラックス出来ました。 まだ見ぬ子供へのお土産も沢山買いましたが、サイズが今一よくわからず気に入ったものを大量買い。
後日談で、息子は4000gを超えて生まれた巨大児で、冬に生れて買って帰った夏物のシャツなどは小さくて殆ど着れなかったというおまけ付き。







1歳記念旅行 ハワイ編  2013年  旅の様子は僕のブログでhttp://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/68726818.html
2012年10月に生まれた息子も、いよいよ1歳。半年前に一人でハワイに旅行したが、妻も両親もやはりハワイには行きたい。
1歳の誕生日はハワイで祝おうと、ずっと前から思っていたので良い記念旅行になった。 長時間のフライトも全く問題なし。
ハワイに着いて2日目には感動の初歩行も有り、一生忘れられないハワイ旅行となりました。

     
 往復のフライトとも爆睡  手を引いてビーチを歩く  砂遊びも楽し〜い  自分の家みたいに自由にくつろぐ
       
 1歳の誕生日を前に僕の手を振り切って
雄たけびを上げながら初歩行いや初走り
 3回走って、転んで怖くなったみたいで
その後は帰国してしばらく歩かなかった
 いよいよ誕生日 おしゃれして  こじゃれたレストランでお祝いの宴
       
 手作りのバースデーケーキ  一升餅を背負わせて、、、、歩かない  ホノルル動物園  可愛い女の子をナンパ

旅は人を成長させると言いますが、息子には世界中色んな国へ旅行をしてもらいたいです。 
彼はこの後も、3歳になるまでに6回ハワイに通うこととなります。








3歳(100cm)記念旅行 カリフォルニア編  2016年  旅の様子は僕のブログで http://blogs.yahoo.co.jp/jinpeiyanai/71301949.html
車が大好きな息子。特に工事車両。ダンプカー、パワーショベル、ブルドーザーetc。 働く車が大好きで、道路工事などを見かけると動きません。
そして、同じ位好きなのが、映画『カーズ』のキャラクター。トミカから発売されているミニカーは数十台所有。 DVDは何十回も見ている。
カリフォルニアのディズニーランドの隣に、カーズの映画をそのまま再現をした『カーズランド』が登場!! 
メインのアトラクションの『ラジエータースプリングスレーサー』などライドは、身長制限102cm。ようやく100cmを超えたので、これは行くしかない!!

       
 相変わらず良く寝てくれて助かります  カリフォルニアのビーチも楽しいな〜  プールも気持ちいい〜  毎回、ビーチで可愛い子をナンパ
       
 今回のメインイベントのカーズランド  主人公のマックイーン   大好きなメーター レッドの大きさにもびっくり
       
 愛くるしいトラクター  映画と同じスタンレーの銅像 メインアトラクション
ラジエータースプリングスレーサー 
想像以上に速くて、固まっちゃった 
       
 トイストーリーのバズ   ミッキーが居たけど寝ちゃった  RickとTrishとの再会
彼が盛大にBBQを開催してくれた 
今回はRickの次男夫婦も着いていて、
みんなでプレゼント交換 
       
4人で再会の乾杯  パドレスVSヤンキース  レンゴランド  そして、独立記念日の花火 

ハワイののんびりした旅行とは違い、ディズニーランド(カーズランド)、レごランド、メジャーリーグ観戦に、Rick達とのBBQ等、予定が詰まりすぎて大変だったけど、沢山の思い出が作れました。
メインのラジエータースプリングズレーサーは、3歳児にしては強烈過ぎて可哀そうだった。せっかく遠くまで来たからとか、自分たちが乗りたいとかの理由で、
様子を伝えずに(伝えると絶対に乗らないと言う)、勝手に他のキャラクター達にも逢えるよと言って乗せたけど、カメラを片手に乗ったら僕も怖かった。
これがトラウマとなって、彼からはカーズランドは消されてしまったようだ。 次はまたハワイかな?







の旅はまだまだ続きます。